◎寒立馬は冬期間アタカと言う地名の所にいます。(1月〜3月迄は下北交通バス尻屋線で終点「尻屋」まで行きアタカまで徒歩20分)
四季
津軽海峡を挟んで釜臥山を望む 本州最涯地石碑と尻屋埼灯台 秋桜咲く丘よりいさりびを望む 雪の中から餌を探し食べる寒立馬

全国的に誉れ高い灯台

州最北東端尻屋埼の突端に立つ白亜の灯台、明治九年十月二十日に東北地方に初の洋式灯台として完成した。慶応二年(一八六六年)徳川幕府が米、英、仏、蘭の四カ国と締結した江戸条約で灯台の設置が義務づけられたことが発端となり、徳川幕府から明治政府とその建設事業が継承され尻屋埼にも建設された。歴史的にも文化的にもその価値感は高く「日本の灯台50選」にも選ばれている。夜、真っ暗な太平洋を照らす尻屋灯台、この明るさは日本最大級であり、光度二百万カンデラでレンズの大きさは大人の身長よりも大きい。三百六十度回転する光線は太平洋からよせる波と相まってその幻想的情緒は人々を魅了してやまない。またこの灯台の設計者は、明治維新政府の技師、英国人のリチャード・ヘンリー・ブラントンで我が国では二十六基の灯台を手がけ、尻屋埼灯台がその最後の仕事といわれている。また彼は、神奈川県「横浜町づくりの父」とも異名を持ち、横浜公園には胸像も建立されている。大草原と、大海原そして、寒立馬と灯台、まるで大自然のキャンバスの中にでもいるような、そんな西欧風の風景が広がっている尻屋埼には春から秋まで行楽を兼ねた若いカップルやファミリーでにぎわっている。

寒立馬の生い立ちと名称の由来

かつて下北地方には、田名部馬と呼ばれる比較的小振りで寒さと粗食耐え、持久力に富む馬がいた。この馬は南部馬を祖として、藩政時代から明治、大正、昭和にかけ、主として軍用を目的に外来種馬との交配によって改良されてきた。中でも、我が東通村の尻屋地方では、この田名部馬をフランスのブルトン種と掛け合わせることによって、独自の種類を生み出した。現在、南部馬の血を受け継いでいるのは、この東通村の寒立馬だけとされ、二百年以上におよぶ歴史の中でつくりあげられ、人々と共に歩んできた。

古くは「野放し馬」と呼ばれていたが、昭和45年当時の尻屋小中学校の校長先生であった岩佐勉氏が尻屋の人たちの前で短歌を詠んだ。「東雲に 勇みいななく 寒立馬 筑紫ヶ原の 嵐ものかは」という歌であった。それから「かんだちめ:寒立馬」と呼ばれるようになった。

(「寒立馬」とは、元々マタギが厳寒のなか何日もじっと動かずたたずむカモシカをみて、そう呼んでいた。ここの馬もこの状態を見られることがある。)


交通アクセ
☆尻屋埼の開放時間☆
■貴重な寒立馬に愛を■

4月1日〜4月30日/8:00〜16時まで

5月1日〜11月30日/7:00〜17時まで

上記時間外はゲートが閉まっていますのでご注意ください。

冬期間(12月1日〜3月31日)尻屋埼は閉まっています。

私たちに生命の力強さを教えてくれる寒立馬が、絶滅の危機に瀕しました。県と村では寒立馬を保護保存する活動を展開しております。新たな生命を宿すようにこの仔馬の未来をいっしょに考えてほしいのです。

■口座名・住所・取扱機関

寒立馬保護募金実行委員会

〒039-4292:青森県下北郡東通村大字砂子又字沢内5番34

郵便局振替口座「寒立馬募金」02350-7-2027